しばらくして、「ハミングバード日本総代理店」と名乗る会社の人たちが尋ねてきた。
「近いうちにハミングバードを開校します。あなたたちは、ハミングバードの看板を降ろすか、私たちのフランチャイズに加盟するか、どちらかを選んでください。」との話。
「今まで私たちがやってきたことはどうなるのですか?レッスンの教え方にしても、カリキュラムにしても、ロスのとは全く違うシステムに変わってしまっています。」と私は尋ねました。
(実際、ハミング発音スクールでの教授法は年々進歩し変化しています。
長い生徒さんでは、ここの開校以来約6年通ってきてくれており、100時間、200時間プライベートで受けていても、毎回新しい発見があると言ってくれます。
ハミング発音スクールの教授法は、レッスンを担当していく中で、新しい発見、方法が見つかり進歩していたのです。
しかし、そんな変化や、改良して欲しいことをロスの社長様に訴えていたのですが、まったく認めてもらえずにいたのでした。
現場に携わっているからこそ、新しいアイデアや、問題点が出てくるのだと思います。
けれど、実際にレッスンに携わることのない社長様にうまく伝えるのは困難なことでした。
それが、また間に代理店が入ったら・・・・、ますます現場の意見なんて届くこともなくなってしまうのではないか、という不安を感じました。)
そして「ハミングバード日本総代理店」と名乗る会社の人たちは、「そうですね。仕方ないですね。どちらにしても私たちが総代理店になったのです。
「どちらかを選んでください。」と言って帰られたのでした。これが、ビジネスの世界なのかと涙があふれてとまりませんでした。
忘れもしない、1999年8月中旬。厄年が一気にやってきたような、怒涛の3日間がやってきた。
私はその1ヶ月前の7月に念願の命を授かっていた。けれど妊娠が分かったその日から出血していたため、不安いっぱいで病院へ行き「可能性は50%、50%でしょう」と一言。赤ちゃんの心拍確認後も出血していた。「もしかしたら障害をもって生まれるかもしれません。」それから総合病院に変えて様子を見ている時に悪夢の3日間はやってきた。
悪夢の3日間の1日目午前中。病院に行き、即自宅安静といわれた。
それでも出社。なぜならその日の午後、「ハミングバード日本総代理店」の代理の人が訪問する予定だったからだ。
「ハミングバードの看板をおろすか、加盟店として働くか。」の選択を求められて、何の答えも出していなかったので、話をまとめる為にわざわざロスから代理の人がいらしたのだ。
実際会ってみると、以前話に出てきた某新聞社の社長O氏だった。
O氏の話によると、最初はO氏が日本全国で展開予定だったが事情により、日本以外で展開するつもりとのこと。
まずは、アメリカで、4,5箇所。日本では、その方の紹介で今回登場してきた企業の方が受け持つことになったという。
この話を聞くと、今すぐにでも世界各地で発音教室展開が可能で、絶対うまくいく、というなんともいいお話。
・・・しかし、ロスに住んでいる時からこの発音に携わって6年以上。色々な人たちの試みをみていても、また同時に講師育成の大変さを実感している私にとって、そんなにとんとん拍子に話は進むだろうか、という疑問で一杯だった。
私は私のわかる範囲のことを代理の方に話しはじめました。
まず発音講師について。
「発音の先生は『英語が話せるから明日から先生やってください』や塾のように『英語が得意なので、はい教壇にたってください』というわけにはいきません。
また『発音に自信があります』と、流暢な英語を話す人がいい講師として教えれるかというと、そうでないことがとても多い。
自分で発音ができるのと、教えられるのは全く別問題なのです。
1999年の時点で30人以上の講師を育成してきましたが、厳しいトレーニングに辞めていった人、想像していたよりも難しいと感じ辞めた人が多くいました。
また、発音を教えるのには、とてつもない忍耐力も必要になってきます。
忍耐力を持って、生徒さんの上達に喜びを感じられなければレッスンを担当するのは苦痛で仕方がないと思います。
そんなこんなで途中で辞めた人は沢山います。
それだけ発音講師を育成することは大変かと思います。」とその方にお話した。
その方もやっぱり人材育成は一番簡単に考えていたようで、3ヶ月後にはハミングバードを開校する予定でもうすでに広告を始めているという。
2000年1月からニューヨーク、ハリウッド、ワシントン・・・各地でハミングバード開校の宣伝を、自社の日本人向け新聞で始めるそうだ。
しかし、この講師育成の難しさを聞いて、不安に感じ始めたO氏。
結局、その日のその話はそれで打ち切られ、明日に持ち越すことになった。
その日の夜22時ごろ、父が福岡から駆けつけた。
それからが大変だった。終わりのない議論とともに、長い夜が始まった。
父と主人と3人で今後のことについての話し合い。お腹の赤ちゃんの様子がよろしくないので自宅安静でといわれたその日の夜は、朝まで泣き通しになった。父はハミング発音スクール存続に反対した。
理由はたくさんあった。
フランチャイズに入るということは、今まで私がやっていことを捨てなければいけない。
私がハミングに携わって7、8年の間、作りあげたこと、新しいカリキュラムや新しい教え方、ノウハウ、講師育成方法、などなど全てを捨てて、フランチャイズの親に従わなければいけなくなってしまう。
さらには、いろいろな改良点、問題点を提案しても取り入れてくれるとは限らない。
これまで、ハミングは講師陣同士の間でいろんなことを積み上げてきた。
そして喜びをみいだしていた。
それが、上から言われてその通りにする。
歯車のひとつになるのだ。
確かに楽になることもあるだろうが、今までの頑張りが無になってしまうのは嫌だった。
さらに、生徒さんにとって、古いレッスン方法に戻ることは不利益、迷惑そのものだった。
父には、そこまでして続けることができるのか?と問われた。
やるからには、私ひとりではやれない。夫婦の協力なくしてやってはいけない。
父は、主人に「本当にやっていけるのか?」という結納以来の雷が落ちた。
「どうしていくつもりなのか?どうなるのか?」を話し続けて朝になり、そのまま学校へ出かけた。
自宅安静どころか一睡もできなかった長い夜だった。