1999年2月か3月ごろだったろうか。
ロスの社長様から連絡があった。ロスの日系企業である某新聞社の社長O氏がハミングバードに興味を持ち、世界中で展開する予定があるという。
年末にはアメリカに4,5社。日本でも同様の展開を考えているとの事。
そして、そこの社員の方が代々木に来るので、説明して下さいという連絡だった。
こういう話しは今までもよくあった話だったので、快くそのお客様を待つ。
その2,3週間後、講師育成で通っていた大阪の大手専門学校の担当の人から連絡があった。
「今、ロスから某新聞社の社長O氏が大阪に来ています。
コネがあるからハミングバードを日本全国の新聞で宣伝し、また自分たちがハミングバードの総代理店になる予定だから・・・と、挨拶にいらっしゃいました。どうなっているのですか?」とのこと。
「どういうこと???」と私もびっくりの状態。
突然、会ったこともない人がきて、宣伝してあげるから・・・といわれても。
大阪では、すでに自社でネットワークを広げ、ハミングバードを取り入れたレッスンを行っていたので困惑したのでした。
結局、「はい、詳細は確認してご連絡いたします。」ということで、うやむやのままその話は終わった。
それから時は過ぎ1999年夏。突然、初めて聞く名前の某会社の会長と秘書の方が訪問してきた。
「今年6月、ロサンゼルスのハミングバードと契約を結び、日本での総代理店となりました。よろしく。」とのこと。
「またどういうこと???」またまたびっくり。「某新聞社の方はどうなったのですか?」の質問に、「彼の紹介で私たちが日本での展開をすることになりました。
来年には日本全国少なくとも9箇所のハミングバードをオープンし、すぐにフランチャイズ展開を行います。
某新聞社は、日本以外の全世界に展開していく予定です。」との回答。
私は「はあ・・講師が要なのですが、講師育成はどうされる予定なのですか?」と率直な質問をぶつけると「人材は山ほどいます。英語に興味のある人はたくさんいるのだから、講師育成なんて2、3ヶ月あれば十分。そんな心配は少しもしていません。」とあっさり。
内心私は、「講師育成って、すごく大変なのに・・・」と思いつつ、話を一方的に聞くような形でこの話は終わり、彼らは帰っていったのでした。
聞くところによると、ロスのハミングバードの社長様が某会社と契約したのは、私達の結婚式に参列する前だったようだ。
我がハミング発音スクールは、 1997年に代々木にて実父の助けで、有限会社ハミングバードとして会社を設立したのは前述の通り。
設立して、2,3ヶ月後には実家福岡に父は戻り、実質的には私と他の講師だけでやりくりをしていた会社だ。
会社設立時、ロスのハミングバードの社長様はモデル校が日本で存続することを大いに喜んだのだったが、私たちは、モデル校になりたかったわけではなかった。
父と2人で、ハミングバードの「専用使用権」を与えてほしい、いずれは、日本の総理代理店としてやっていきたいのだ、とお願いしたのだった。
だが、「広げるためにはお金が必要。あなたたちは何百億円もだせますか?」との回答。
私たちの「無理です。」の返事に「出せないのなら、私は他にスポンサーを探します。いいですね?」と突き放されたのだった。
26歳だった私は心の中で「世の中、お金だけなのかな?お金さえあれば広がるの?でもお金なんだ」と落胆と疑問でいっぱいだった。
どちらにしても、そんな大金集めることなんてできない。
私は何も言えなかったのだった。こういう一件があったので、ロスの社長様が他のスポンサーを探しているのは知っていった。
でも、悲しかった。何が悲しかったか?
それは、6月の結婚式に参列して頂いた時、前日に同じホテルに宿泊し、私を含め両親とハミングバードの話をして、総代理店が見つかった事も契約した事も、一言も話してくれなかったということです。
確かに、私たちは大金も持っていないし、日本全国あっという間にフランチャイズ展開なんてこともできない。
しかし、よりたくさんの人に発音を学ぶことによって、自信とプラスアルファーの力を持って欲しいという気持ちは誰にも負けないつもりだ。
そう思って、日本に帰ってからの2年間をがんばっていた。それなのに、何の話もなく、突然「はい、今後私が総代理店です。私の下で働きなさい。」といわれても・・・・とてつもない悲しさと同時に憤りさえ感じたのでした。
私たちが日本でハミングバードを始めるもっとずっと前に、ハミングバードを日本で広げようと、東京で開講していたという人から連絡をもらったことがあった。
1998年暮れぐらいだっただろうか、私より、2,3歳上ぐらいの人だったと思う。
やっぱり発音に魅了されて多くの人に伝えたいと、副業として発音教室を開いていたらしい。
1年間頑張ったが、諦めざるをえない状況になってしまったのだそうだ。
HPで、私が同じようなことをしているのを知り、遠方から訪ねてくださったのだった。
御茶ノ水で何人かの友達と広げようとしていたらしいが、ロスの社長様と色々あり、辞めてしまったのだそうだ。
自分たちができなかったことを、頑張って欲しいと熱く語って下さった。
こんな風に、私の知らないところで、多くの人が発音教室を運営しようとしていたのかもしれない。
しかし、当時は発音なんて興味ももたれない世の中。
しかも “発音はネイティブから”に決まっている、日本人から習うなんてとんでもないという世の中。
ただでさえ、肩身の狭い発音なのに、その上、莫大の資金力がないと夢は叶わないというのだろうか。
でも私は、「お金だけじゃない。熱意さえあれば!」と心のどこかで強く熱望していた。
だから、私は、他にスポンサー校ができようが、ただのモデル校としてしか見られなかろうが、諦めるつもりは全く無かったし、発音の重要性と魔力を多くの人に伝えたかった。