ハミング発音スクール 誕生秘話

28. 渋谷区に「2つのハミングバード?」

2000年4月!あの悪夢の3日間(総代理店が日本で大々的にフランチャイズをするという代理人の話。

結論を出せない私達を前に、仕方がないので2000 年春ごろに総代理店が大々的にフランチャイズを展開する際に、詳細は話しあいをもって決める、という方向性に至るまでの3日間のこと。)から8ヶ月たった

2000年4月。

私たちは、大企業の「ハミングバード日本総代理店」としての進出に怯えていた。

しかもなんと代理店の場所は、目と鼻の先、同じ渋谷区にハミングバードを開校したのだった。

駅でいえば、二つお隣の渋谷駅だ。

1997年に「アメリカ帰りの女性が趣味ではじめたの?」と思われるような細々としたわが社だが、「有限会社ハミングバード」の命は小さいながらも既に誕生していた。

当時は登記を福岡(私の実家)で行っていたが、この同じ年ガミガミ親父の許しがでて、社長交代を機に「株式会社」に移行し登記を渋谷区に変更したのだ。

そして、渋谷区で「株式会社ハミングバード」として登記した。その後、同じ渋谷区に目的がほぼ同じ、似たような名前の会社が登記されたのである。(通常はありえないらしいのだが…)。

めでたく株式会社になったわが社。有限会社と株式会社。同じ会社なんだから特に大きな差はないと思っていた。しかし、周りの見る目は違うらしい。

1997年、初めての仕事でパンフレット作成にとりかかった時。
自分達でパンフらしいものを作ってみたが、やっぱり「チラシ」の域を出ない。

仕方がないから外部にお願いしようと、事務所の近くにあった広告代理店に電話をした。

ある大手企業だ。

営業マンが足を運んでくれたものの、まともに相手にしてくれなかった。

「うちのようなところに頼むような内容じゃないですよ。」と。

何を見て言ってるの?有限だから?小さな事務所だから?と内心思った。

「ご自分で作られて印刷したほうが安くつきますよ。」との言葉。

「それが難しかったのでお願いしようと思ったのですが、見積もりをだしてはいただけませんか?」と頼んでみたが、「いいですが、100万円ほどはかかりますよ。では、見積書をお送りします。」(覚悟はしていたが、もっと詳細に知りたかった。)

「では、見積書をお送りします。」といって早々と帰っていった営業マン。

その後、なんと、見積書はファックスされることもなく、こちらから電話しても留守ですという対応。

何とも悲しい。また別の大手に広告をだそうとしたときも似たような対応でした。

個人事業であっても、有限であっても、株式会社であっても同じだと思うのだが。

取引をしようとする時に、肌で感じる差。

株式会社になって、外部と取引するときに、以前と比べて、一応真剣には話を聞いてくれて、まともに対応してくれているようには思われた。

本当の対応の差の理由は、26歳の小娘が代表のような顔をして、発注をお願いするもんだから相手にしてくれなかったのかもしれない。

いよいよ「その日」がやってきた。8ヶ月たち、同じ渋谷区に日本総代理店が発音矯正学校を開校したのでした。
「2000年4月 ハミングバードが初めて日本に上陸!」と大々的に宣伝をする大手企業。

3年も前から「ハミングバード」という看板をたて、代々木で学校を開いている私たちのこの小さいけれど大切な歩みは?私よりずっと前に、日本で広げようとしていた先人たちの歩みは?すべて無かったというの・・・と思ってはみても、悲しいが何も言えない現実。

さすが大手、私たちがいくら頑張って真似してもできないことを次々にやっていった。
大金をかけて宣伝することだ。

有名な習い事の雑誌に広告を載せようと思うと、名刺のようなサイズの広告でも目がとびでるような値段だ。

その宣伝を惜しみもなく続ける日本総代理店。

一度掲載したら止められない、地獄の悪循環。もし掲載を止めたら、つぶれたと思われるらしい!

これまでの日記を読んで頂いてお分かりかと思うが、私たちはそんなことはできず、生徒さんの協力のもと、口コミだけで広まったのだ。

細々とコツコツ地味にやってきたのだ。

そして、「渋谷の学校と代々木の学校は姉妹校ですか?」という問い合わせが相次いだ。
「教材は同じなのですが、経営者が違うんですよ。」としか説明できない日々が続いた。
しかし、そんなある日、「渋谷が本部なので、近いうちに代々木はなくなるって聞いたんですが。」という問い合わせの電話を頂いたこともあった。

唖然。言葉がなかった。

確かに1999年の頃に総代理店が望んでいたのは、当社の買収または倒産。

しかし、子の立場で契約の条件を提示できるわけもなく、何の連絡もないまま、時は過ぎた。

きっと「ほっといても、すぐに潰れるだろう。音を上げるだろう。」と思っていたのだろうか? 

そう思うのは当然だろう、26歳の小娘がはじめた学校だ。

または、最初から眼中にはなかったのだろうか?

こんな調子で、私たち代々木のハミングバードの存在は、まったくまるで無いかのように扱われ、時がたった。

結局、日本総代理店のフランチャイズの計画はどのようになったのか、知るすべもなかった。

日本総代理店が学校を開講して4年たった今、わたしたちはまったく違う道を歩き、それぞれのやり方で、それぞれが頑張っている。

私たちは今まで通りコツコツと、代々木のハミングバード(現ハミング発音スクール)の生徒さんたちと共に、地道に歩んで行くつもりだ。

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この日記、私が18年前に書いたブログを子供に残したいなって思って、載せてます。

現在、息子は中1になってなぜ勉強する意味がわからなくなったって、
私の子供の頃に似て大人の表情を敏感に察知して「こんな大人になりたい!」って思えず
さらに起立性の病気で不登校。
その中で、自分は何になりたい? 何がしたい?って葛藤している13歳。

私も子供の頃、オヤジはヤクザのようでずっと家庭崩壊。
積み木崩し状態。
家庭の暖かさも知らず、男はみんな最悪って思ってた。
みんな調子いいこと言って、騙してんだ!って。

ハミング発音スクールを20年前、26歳の時に設立して、
そして数年後、たくさんのおじさんたちに叩かれて、いつ潰れてもおかしくない状態。
誰が見ても、ふつーやめるよ 儲かってる会社でもないのにって。

でもしがみついた、30歳。

潰される攻撃続いたけど、しがみついた。

ただ、ただ、この仕事が好きだったから。

でもその天職を見つけられたのって 22歳。
13歳の息子が 今、自分は何がしたい? 何ができる?って苦しんでる。

でも、あんたのその辛い経験がきっと将来役に立つ。

そのドットが線になるって思う。

姉も将来何をして、何を学び、どうやって役に立ちたいのか、
その気持ちを持ててるから、合格でも不合格でもどうなっても!って頑張れてるって思う。

ハミングって発音なのに、70歳近くから通い始めた人もいる。
諦めなければ、何かが変わると思うからって。

生徒さんから学んだ「あきらめなければ 奇跡が起こる」です。

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まゆみ
まゆみ
ハミング発音スクール代表の佐久間まゆみです。