ハミング発音スクール 誕生秘話

23.悪夢の3日間・3日目その後、独立の道は?

怒涛のような3日が過ぎたが、その後ものんびりはしていられない。今後の歩むべき道について議論を重ねた。
1996年に日本で始めてハミングバードを開講した時(以前お話したように、実際はもっと前にハミングバードが日本に上陸し、1年間ほどレッスンを行っていた方がいたのだが。)、ロサンゼルスの学校の流れで、ロスで作られた2時間ほどのビデオテープ7巻とテキストをセットで教材として使用していた。

卸売り価格で250ドル。当時、4万円近かった。

さらにアメリカから輸入のため、関税や送料などもかなり加算されていた。

仕入れ時、1000セットまとめてならば安くしてもらえるとの話だったが、それは無理だった。

それでもしばらくは、ビデオとテキストをセットで輸入していたが、やはり値段がネックで、途中からテキストのみに切り替えた。

・・がしかし、テキストだけでも1冊20ドル。決して安くはなかった。

しかし、このテキストがなければ学校をやっていけない。

そして、今後このテキストを販売してくれなくなれば、やって行けなくなるという不安が沸き起こった。

さらには、ハミングバードで扱っている8つの口、舌の位置はアメリカ特許(具体的には、また次の機会で)をとっている。

アメリカ特許とは、日本でビジネスを行う上どれほどの影響力があるのか?考えれば考えるほど、独立は無理・・・。

やっぱり続けたいならば、吸収されるしかないのか・・・。

言われた通りにやっていくしか方法がないのか・・・。

もっと現場の声を聞いてもらえ、改良していく事業にも携われるのなら話しは別なのだが。

議論を重ねながら、四面楚歌のような状態にどんどん落ち込んでいった。

この事件の時、すでに代々木で発音スクールを開校して2年が経っていた。
生徒さんの数も増え、講師数も教室数も拡張したいと考えていた時の出来事だった。
しかし、あの悪夢の3日間の話し合いで、「代々木校の既得権は認めるが、代々木以外での新規開校はだめ。」

そして「教材や価格の足並みをそろえ、フランチャイズに加盟しなさい。」という結論に。

素直に従うしかないのだろうが、そのまま黙って待つよりも法律の専門家弁護士さんに相談することになった。

最終的には複数の弁護士さん、弁理士さんにお会いすることになり、結果的に学校を運営する上でとてもいい勉強をさせてもらったのだった。

それまで、特許や知的所有権、営業権・・・など「法律」など考えたこともなかった私たちだったが、本屋でそれらに関しての本を購入してまず勉強。

知れば知るほど難しい世界だった。

調べて分かったことは、「特許」でも「契約」でも国が違うだけで大きな違いがあったことだ。
ロスのハミングバードの社長様は、本業としてはコンピューターの会社を経営している。社長様は、福岡生まれで、16歳でアメリカに渡ったらしい。両親や祖父母もアメリカで育ったようだ。

私はロスにいたころ、社長様の娘ルナと一緒に働いていた。
日本人の両親から生まれたので見た目は日本人なのだが、生まれも育ちもアメリカなので英語のほうが達者だ。
母親とはつたない日本語で会話しているらしい。
このルナがハミングバードのメソッドの要の人だったと思う。(6年前ほど3人の子供ができ、引退した。)

ロスの会社には娘であるルナと、シドという男性、そして2人の日本人がいた。
その日本人が分かりづらい英語を話すので発音を教え出したのがきっかけだったらしい。
そして、8つの口の形と8つの舌の位置という案がでてきたようだ。

ハミングバードの口の形の案は、ルナの口の形そのもの。

その絵が英文の下に出るビデオ(ルナとシドが登場して音楽にあわせて発声しているビデオ。シドは東海岸で育った人。その上男性なので、ルナの口とかなり違う。)を見ながら音楽にあわせて練習していくというのがハミングバードのメソッドだ。

レッスンのはじまりは、1988年ごろ。

コンピューター会社の事務所の1室で留学生、駐在員を集めてほそぼそとレッスンを始めたのだそうだ。

そのときの生徒の一人が私。今から10年以上も前にビデオ教材を作成するのは大変だったと思う。

そのビデオを作った時に、名前がないのも変だということになり「Hummingbirdにしたら」という友達の一言で決定したらしい。

そして、社長様とルナとシドの名前でこの方法を特許申請したら、通ったわけだ。

日本と違って、アメリカでは、ビジネスになりそうなものはとにかく特許を申請するし、日本では認められないものでも特許権が与えられる。

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まゆみ
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ハミング発音スクール代表の佐久間まゆみです。