ハミング発音スクール 誕生秘話

32. 諦めたくない!「発音」にこだわった学校…

1997年、26歳 貯金は20,000円也。自分の生活のためだけならなんとでもなる。でも私は、どうしても発音学校をやりたい。
しかし、現実問題としてやる気や理想だけでは、どうしようもない。
今までは、S氏が恵比寿の教室での費用を払ってくれていたので、何の心配もいらなかったのだ。しかしそれは断ち切られるのだ。

最後に頼れるのは、やっぱり父親だった。

 その日の夜、父の住む寮に押しかけた。「何が何でもやりたいんです。」

「経営は甘くないぞ。特に知名度もないものは。ほんとにやれるのか?」と。

当時、英会話スクールは掃いて捨てるほどあった。

しかも、発音を勉強しようなどと思う日本人は、ほとんどいなかった。

その上、「発音はネイティブから習うものであり、日本人が教えれるわけない。ネイティブと話すのがまず先だ。」とか「別にどんな発音でも通じればいいんだ。」という風潮だった。

今でこそ、あっちこっちの英会話スクールの中にも発音レッスンがあるが、当時は、まったく相手にされていなかった。

肩身の狭い思いをしていた発音だったのだ。

その発音だけに特化して学校を開くのだから、並大抵なことでない。

他人からは、ネイティブ講師を入れた英会話スクールにして、一部で発音レッスンをすればいいじゃないか、とも言われた。

しかし、私は「発音」だけにこだわった。発音ができるようになれば、自信がつき、話してみたくなり、結果的に総合英語力も必ず伸びる。そう自分の体験から感じていたからだ。

 そして、私の熱意が通じたのか、やっぱりかわいい娘のわがままを聞いてくれた優しい親心からか、父は協力してくれた。…といっても、「はい会社を作ってあげたから好きにしなさい。」という甘い父ではなかった。

翌日から、父の雷は頻繁に落ちた。

私は、泣きながら、鼻を真っ赤にしながら、事業立ち上げに向け奮闘する毎日が始まった。

ABOUT ME
まゆみ
ハミング発音スクール代表の大庭まゆみです。