当時は毎日毎日、何をどう教えるかを模索し必死だった。
レッスンごとに、全力投球だった。
ある生徒さんはRが出ない。「どうすればいいんだろう??」と、自分の口の動きや身体の様子を生徒さんと比べながら、「じゃこうしてみて。ああしてみて。」
そして、「やった!ちょっと近づいてきた。」の繰り返し。
そんな試行錯誤のレッスンでも、嬉しいことに生徒さんから指名がたくさん来るようになった。
ネイティブ講師や他の発音上手な先生からレッスンを受けていた生徒さんが、たまたま私のレッスンを受講し、そのレッスン終わりに「すごくわかりやすかったです。また次も先生でお願いします。」と言って帰ってくれることもあった。
そして、そう言ってくれる生徒さんが増えてきた。
時には、人の生徒を横取りしていると睨まれたりもしたけれど、Luna(あのビデオ教材に出ている彼女。)がよく守ってくれた。
とにかく、自分の目の前にいる人(私と同じように発音で嫌な思いをしたはずだ。)の発音を上手にしてあげたい、今日何かを知って帰ってもらいたい、
発音って楽しんいだと知ってもらいたい、という気持ちだけで無我夢中の毎日だった。
1993年の頃
5年近くロスのハミングバードに関わる中で、一体何人の「野望」を抱くおじ様や、おば様に出会っただろうか。
「口の形だけ覚えれば発音は上手になる」という文句に魅かれ、「ハミングバードの教材さえあれば、これはビジネスになる。」と日本進出を考えるたくさんのおじ様、おば様に出会ったのだ。
確かに一瞬は、簡単に日本でも発音習得術の市場を開拓できそうに思うだろう。
しかし、はてはてそう簡単に行くものなのだろうか?
最も重要なポイントは講師育成。時間も労力も、そしてかなりの熱意も必要だ。・・・と20代の甘ちゃんは考えた。
日本でのハミングバードフランチャイズを目指す、塾を経営するおじ様。わざわざロスで顔合わせをし、話も進んでいるかのようにみえた。
・・がいつの間にか姿を見なくなった。こんなような出来事は何度となく続いたようだ。
「日本にもハミングバードができたら、私もそこに就職できるかしら?」という甘い期待も考えも、その度にかき消されていったのだった。
1994年、23歳、何が一番やりたいのか、私には何ができるのか?という質問に、迷うことなく答えはひとつ。
何がなんでもこの発音の素晴らしさを一人でも多くの人に伝えていきたい。
特に、発音に苦労している人、今から英語をと思っている人、留学を目指している人、自信をつけたい人、真似の苦手な人のために。
大人になってからでもちっとも遅くない。
思い続ければ、絶対叶う!
それを日本で伝えたい、そう思った。
けれど、現実はそんなに甘くない。
「やりたい、やりたい」だけの状態
「どうやって」日本でやっていくの?
ハミングバードの社長様は、誰か日本で開校してくれる人探しているが、相変わらずなかなか決まらないらしい。
誰もやらなくても何が何でも日本でやりたい、という気持ちはどんどん募った。
ロスのハミングバードに通った約4、5年の間に、とにかく学べるものはすべて学ぼうとした。
このハミングバード教材のモデルでもあり、口の形を考え出したと思われるLunaが側にいたので、聞けることはすべて彼女から聞いて学んでいった。
なぜ、英語の発音、ネイティブからじゃなくて、日本人が先生? 間違ってない?
Lunaの口の形、動きは、ハミングバードが推奨する8つの口、そのもの。
しかし、やはりLunaはネイティブ。
生まれたときから発する個々の音を、どうやって出すのかを伝えるのは困難なのだ。
彼女の口を見ながら、音を真似しながら、ひたすらひとつの音を練習し結局出ないときもあった。
私たち日本人が、彼等に「『こんにちは』はこういうふうに発音するのよと」、教えるのためにはやはり真似をしてもらう以外にないのと同じだということを悟った。
しかし、私はあきらめなかった。
レッスンを受け持った後は、必ずLunaに質問。発音の教え方を聞いた。
で、自分の発音は、、、うまくはならなかった。知識は得たけど、やっぱりカタカナ英語。
発音下手なのに、「ハミングバード」の宣伝(営業)もやってみた。
ある時は、本屋で、ある時は美容院で、ある時は旅行者相手に。
初めての営業に何度も失敗しながら、相手の気持ちをつかむコツをつかんでいった。
学んだのは、話しの上手、下手ではないということ。
自分が「いい!」と思っていれば相手にも伝わるんだということ。
私がいいと思っているのものを売るのでなく、「知って欲しい」という気持ちで接している時は上手くいったのだった。
1995年 アメリカの大学 卒業まであと1年というとき。ロスのハミングバードで担当していた生徒さんS氏が近いうちに帰国するという。
彼は某銀行員の駐在でロスに来ていた。
発音の素晴らしさを実感していたのだろう、東京に帰り
発音の学校を開きたいので一緒にやりませんか?とお声がかかったのだった。
「はい!」と即答したいところだったが、当時はまだ大学卒業まであと1年はあり
「残念!!!」
縁がなかったのだろうとあきらめたのだった。