アメリカに住んでいるのにできるだけ英語を話さないように、英語から逃げる生活。
大学の授業は「キンコン、カンコン」のチャイムがなると同時に教室に到着。
授業前にネイティブの人たちに英語で話しかけられるのが苦痛だったからです。
授業中も、「先生あてないで」とひたすら願い、できるだけ後ろの隅っこの席で、必死にノート取り。
会話力をつけるため、というよりとにかく「単位をとって、大学を卒業する」、という目的だけになっていました。
でも、これじゃ、日本に帰れないし、という気持ちがどこかにあり、大学に通いながら、週2回通訳学校へ。
その通訳学校で出会ったある先生の一言で、絶望のドン底。
忘れもしないあの出来事!
通訳学校での初めてのスピーチ。テーマは「朝鮮について」。
スピーチのために1ヶ月かけてたくさんの本を読み、勉強。
何度も原稿を書き直し、暗記し、学校へ向かったあの日。
忘れもしないあの瞬間。
クラスメートが15人ほど、先生が2人聞いている中でのスピーチ。
5分ほどでしたが、あんなに長く感じた5分はありませんでした。
とにかく緊張していて、暗記している文を忘れる前に、と必死に早口でしゃべっていました。
もちろん英語です。
私の発表はプレゼンのような立派なものではありません。暗記したものを発表しただけです。
しかし、私なりにアイコンタクトとって、間をとって、など大学で学んでいたことを意識してのスピーチでした。
「ふー、やっと終わった」と心の中で一息ついたその瞬間、T先生からの一言「あなたの英語はすごいカタカナ英語、何を言っているかわかりませんでした。」きびしー。
私は・・・・奈落の底へ勢いよく転がっていったのです。