33.父と母。そして私

私の父は今どき珍しい「地震、雷、火事、おやじ」という言葉がよく似合う父だ。恐ろしく厳格な父である。
「パパ」でなく、まさに「オヤジ」。高校時代、よくその家庭環境でぐれなかったね。と番長である元クラスメートに言われたことがある。

幼少の頃から、父の機嫌の悪いときは、4つ下の妹に向かって、ジェスチャーで注意を呼びかけた。
「頭に角がある」ジェスチャーを見えないところで示し、今日は大人しくしないと雷が落ちるぞ、と教えてあげていた。

 思えば、父への裏切りは、私の誕生の時だった。男だとばかり思っていたのに、女が生まれたからだ
。悲しくて病院にも来なかったらしい。
しかし、初の子供なので、かわいがってはくれたようだ。

そして私は男の子のように育てられたのだろう。

そのためか、父親譲りで、私の性格は男勝りだ。

「まゆみの性格は、父の悪いところばかり似ている。男みたい。」と母は嘆いている。父は普通の道を歩いてはいない。

風貌も普通っぽくない。

26歳で、会社勤めをしながら自営業をはじめた。

父の性格から、上司にサービス残業をしたり、おべっか使ったりして気に入られたり、など世渡り上手なことはできやしない。

上司には、平気で歯向かうし、無意味な残業はしないで5時には退社(残業なしで効率よく仕事を終らせる主義)。

だから出世街道は歩けなかった。

しかも自営業を副業にしていたので、しばらく窓際俗のように飛ばされたこともあったらしい。

大手はそうやって自主退職を待つのだろう。

しかし定年退職まで居座り、最終的には大きな仕事をしたようだ。

出世はしないが、仕事は抜群にできたそうだ。
私もこの仕事をするようになって、父のすごさは身にしみた。
あの厳格な父がいなければ、今このハミング発音スクールはないだろう。

 最近、父が本を出版した。
「サラリーマンやくざ人生」と自分の一生を綴っている。

ほんとにヤクザのようだ。

幼少の頃は、ただただ「怖い親父」だったが、今は尊敬している。

父を影で支えている母も、すごいと思う。

小学生のとき、母が台所で見えないように、涙を流していた、淋しそうな耐え忍ぶ母の後ろ姿を鮮明に覚えている。

この家庭はいつ崩壊するのかと、小さいながらいろいろ考えた。

 あの父と母の子でなければ、今の自分はなかったと思う。

人並みはずれたことを、26歳でやろうと決めたのは、やっぱり父母と同じ血が流れているからであろう。
思えば、「26歳」は父が会社を立ち上げた年だ。私の試練も、初めての東京での生活、ハミング立ち上げ、同じ26歳の時に始まった。

父とのやりとりで、涙が枯れてなくなるのでは、と思うぐらいに泣いて、泣いて、でも自分の夢はあきらめずにしがみついた。

そして今、こうしてハミング発音スクールという命が育っている。 1997年11月

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