2003年11月
まずは最近ぐんーと問い合わせが増えている、「インターネットで検索すると似たようなところがたくさんあって 名前も似たような感じなのですが、同じなのですか?」の質問に答えていこうと思います。
2000年夏ごろから聞かれるようになったのですが、大変複雑で、話すと長—いのですが、ぼちぼち語っていきたいと思います。
結論からいうと、ハミングバードという商品名(教材)を販売したり、教室を開いているところはたくさんあるようですが、全部 関係ないです。
九州、沖縄、四国、大阪、北海道、さらに東京には耳にしたところで5件以上あるようです。???ですよね。
もとは 1988年ロサンゼルスが発祥の地です。日本では、ロスで作られたビデオ教材を購入して、教室を開いたり、そのビデオ教材のみ販売しているところ、そのビデオ教材を使って独学法を推進しているところ、すでにある語学学校に独自のメソッドにしてとりいれているところ、
ロスのビデオ教材の販売 運営を中心に行うというロスの日本総代理店になっているところ、などなど様々です。
ロスのハミングバードビデオ教材は、ネイティブ男女が2人登場して、Let’s walk. Coffee shop.など短く簡単な文章を、軽快に発音しています。
2時間ぐらいの長さです。ある程度発音を知っている人にはいいと思いますよ。
勉強という感じではないので、新鮮ですよ。
独学なので忍耐力があり、真似の上手な人にはいいかと思います。(値段が、45,000円から80,000円と幅があります。購入ご希望の方はいろいろな所で販売していますので、ネットでいろいろ探すといいと思います。)
ここのハミング発音スクールでは1999年ごろは販売していました。(だが、しかし途中で販売はやめました。)
なぜ?は後ほど詳しく語っていきます。
「どうしてこんなに色々な人たちが独自にハミング教材を販売したり、学校を開いたりしているの?総代理店があるのに!」と思う方も多いでしょう。
簡単に説明しますと、「ロスのハミングバードの右腕になる」と名乗りをあげた企業が、総代理店になったのは2000年。
その時には、すでにハミングバードの教材を使って何かをしている学校や個人が、日本各地たくさん存在していたのです。
そこで、名乗りをあげた企業が統括するのかと思いきや、「既存のところはそーっとしておきましょう。」というロス本校の社長様の暖かいお気持ちで、いまだに自分達のやり方で事業を行っている所が沢山あるのです。
(ここもそのうちの1つ。総代理店ができる4年も前からハミングバードを広げようと頑張っていたのに、当時うまくいかないことがありました。
世の中やっぱりお金なのか、莫大な資金力には勝てないのか、さらに女は相手にされないのか・・・と深く傷つき、当時は意地になって負けるもんか!)
現在も、様々な企業や個人が全国各地同じ教材を使っているようですが、(当校はもう使っていません。)全て教え方、進め方、信念、もちろんお値段も違います。
ここに通ってきてくれる生徒さんはいろいろ吟味し、その上でここを選んでくれたようです。ありがたいです。
「総代理店さんと同じ渋谷区にあるのに、なぜ一緒にやらないの?」「足並みそろえないの???」と思われるでしょう。
私もそう思います(笑)。
このお話をするには、1999年ごろにさかのぼってお話しなければなりません。話、長くなりますがお付き合いください。
現在、ここ代々木にあるハミング発音スクールのチーフとして居座っている私、おおば まゆみ。
私の人生を辿っていくと、「ハミングって何?」の回答に行き着くのです。
その予備知識として、私おおば まゆみってどんな人か?
自分としては、普通の女だと思っているのだが、気が強くて、そのくせ涙もろい。東京での生活してても、いまだに九州弁のまま。(というか直そうとしてない)、日本語すらコミュニケーションがとれないときがある(笑)。
3歳の子供を持つ母でもあり、現在お腹に2人目が滞在中。
しかし、なにしろ年中無休で職場で過ごす仕事バカなので、一人目の子供も「生みっぱなし」と言われている。
子供は親の背中を見て勝手に育つと、自由放任の育て方を自負しているつもりだが、ただ単に世話をしていないだけという声も。わんぱく盛りな娘は、ママよりも、世話をしてくれるパパが居ればいいらしい。
仕事に出かける私に、泣くどころかあっさり「バイバイ」と手を振る。物心つく、1歳過ぎからである。
悲しいかな、しかしやっぱり子供はかわいくて仕方がない。娘は、毎日私のぽっこりでたお腹に向かって、「おーい 早くでてこい、お姉ちゃんだよ。」と叫んでいる。
パパはといえば、2人目まで誰が育てるの?と不安がっている。とはいえ、仕事も家庭も現在、大満足!毎日、毎日を大切に、一生懸命生きているのです。
ここで「ハミングバード教授法」の説明をしておきましょう。
簡単に言えば、8つの口と舌の位置を覚え、英語の下に表示される口の絵を真似て発声する、というものです。
ビデオ教材のネイティブスピーカーが発声を聞きながら、口の絵を見て練習する。
この学習方法がアメリカでは認められ、特許を取得している。(特許取得は1994年のことである。ちょうど私がハミングバードで発音講師をしていたころだ。)
「特許」なんて世界中に通用されるものと思いきや、これは「アメリカ内」で有効なものとのこと。ここ代々木にて開校後に日本でも申請してみたが、悲しいことに相手にもされなかったのです。
日本の特許は「形」あるものの発明でなければならないのだ。アメリカはアメリカ、日本は日本。まったく関係ないということ。まったく変な世の中ですね。
ロスのハミングバードでは、日本人が4,5時間位までのレッスンのみ(口の形、アルファベットなどの比較的容易な個所)を受け持ち、その後はネイティブ講師が担当する形だった。
私が新人講師になって1ヶ月ぐらい経ったくらいだっただろうか、5時間受講後ネイティブクラスに行った生徒さんが2時間後に、また私のレッスンに戻ってきたことがあった。日本人に習ったほうが分かりやすいというのだ。
理由はどうであれ、初めての指名は嬉しかった。
だが、それからもっと必死にならなければいけなくなった。責任重大だ。
その生徒さんを「どうしても上達させなければ」と無我夢中。結局、その生徒さんの駐在期間が終わるまでの期間、36時間近くの全てのレッスンを担当することになった。
これを機に、ロスのハミングバードでは4、5時間目までのレッスンだけでなく、それ以降も日本人が教えてもいいことになったのだった。
その時私は、ネイティブ講師から習うより、実際に苦労した日本人から、日本語で習ったほうが、発音は上達するものだということを確信しました。
つまり「なんでできないのか。どうすればできるのか。」を明確に指導できるのは日本人講師だということなのです。
新米講師の私がレッスンを担当するようになって2,3ヶ月。不思議な現象が起きてきた。
私の発音は相変わらずなのに、何度かレッスンを受け持った生徒さんの上達がみるみる伸びたのだ。
たった12回のレッスンで、生徒さんの発音の流暢さが私の上を行く人が何人もでてきた。
もちろん皆、最初の発音レベルは普通のカタカナ英語でした。しかも、真似が苦手な人や、音感はイマイチという人まで上達してきたのだ。
なぜだろう?当時の私のレッスンは、「はい私の音を聞いて真似して」といった自分の発音を見本にするようなレッスンは不可能だった。
だから、「こうしてみて。ああしてみて。」と生徒さんの口の中を覗き込みながらの試行錯誤のレッスンだった。
それがよかったのだろうか?今でも実際のところよくわからない。
一番驚き、そして笑ったのは社長様。なぜゆえに、発音の下手な私から習った生徒の方が上達して、そして再受講に至るのか?私は、ただただ嬉しかった。
生徒さんが上達して、感謝してくれて、英語が好きになってくれて、表情が豊かになって、これ程嬉しいことはなかった。
また、私の発音も生徒さんに教えることで、新たに学ぶところが多く、少しずつではあるが良くなっていったのだった。
少しずつましな発音に進歩していた私の発音ではあるが、相変わらずカメの歩み。ある日、隣りで教えている日本人講師が、どうしてあんなに英語がきれいなのか考えてみた。
彼女のレッスンを見学してみると、ビデオに合わせて発声させ、口の形を注意するぐらいのありきたりのレッスン。
勘がよく、音感のよい生徒さんは、教えている彼女と同じようにすぐ上達する。
が中には、私と同じように、苦労している生徒さんも彼女のクラスの中には大勢いた。
そこで、彼女の経歴を聞いてみた。なんと以前はミュージカルで活躍していた人でした。
歌も得意、発声も得意な彼女。日本語自体がお腹に響くような低い声。
なるほど、同じ口の形を作っていても「音」そのものが違うはず。声の出し方が私とは全く違うのだ。
じゃあどうすればいいの?腹式呼吸かしら?本を読みあさり、試行錯誤がはじまる。こうして、落ちこぼれ先生の発音習得研究がはじまったのでした。
そんなある時、発音を「ちょっとよくなったね」とほめられた事件(?)がありました。
それは、ある日職場で文句を言っていた時(もちろん英語で)。怒って、必死になって文句を言っていたまさにその時、知らぬ間にお腹の底から発声していたのだろう。
ふと社長様が「あれ?英語、少しよくなったね。」と一言。
問題はやっぱり呼吸なんだ!私の直感は正しかった!でも、どう呼吸を学べばいい?どう教えればいいの?
この確信の時から「これだ!」と思う方法を見つけ出すまで、私は何年も何年も・・・かなりの時間を費やすことになるのでした。
なぜこんなにも発音矯正にはまったのか?それは、レッスンをすることが楽しくて仕方がなかったから。
では、なぜ?それはたくさんの生徒さんからの暖かい言葉があったから。
ある日、久美さんという生徒さんから、とてもきれいな字で書かれた手紙をもらった。
「主人の駐在でアメリカについてきたのですが、英語は嫌い、ネイティブとも話せない、学校は行きたくないの毎日。
そんな時、あるきっかけでハミングに通うことになりました。
まゆみ先生に出会えてほんとによかったです。まゆみ先生のおかげで自信がついてきて、あんな嫌だった語学学校に通い出し、さらにネイティブの先生に『クミの発音はすごくきれいだね』と褒められました。
嫌いだった英語が少しずつ好きになってきました。ほんとにありがとうございます。これからもよろしくお願いします。」
(久美さんの手紙から抜粋)・・と突然のお手紙。
涙があふれてきた。
上手になったのは、本人の努力があったから。でも、嫌いだった英語が好きになった、自信につながったということは大感激だった。この手紙は今でも宝物。
当時は毎日毎日、何をどう教えるかを模索し必死だった。
レッスンごとに、全力投球だった。
ある生徒さんはRが出ない。「どうすればいいんだろう??」と、自分の口の動きや身体の様子を生徒さんと比べながら、「じゃこうしてみて。ああしてみて。」そして、「やった!ちょっと近づいてきた。」の繰り返し。
そんな試行錯誤のレッスンでも、嬉しいことに生徒さんから指名がたくさん来るようになった。
ネイティブ講師や他の発音上手な先生からレッスンを受けていた生徒さんが、たまたま私のレッスンを受講し、そのレッスン終わりに「すごくわかりやすかったです。また次も先生でお願いします。」と言って帰ってくれることもあった。
そして、そう言ってくれる生徒さんが増えてきた。時には、人の生徒を横取りしていると睨まれたりもしたけれど、Luna(あのビデオ教材に出ている彼女。)がよく守ってくれた。
とにかく、自分の目の前にいる人(私と同じように発音で嫌な思いをしたはずだ。)の発音を上手にしてあげたい、今日何かを知って帰ってもらいたい、発音って楽しんいだと知ってもらいたい、という気持ちだけで無我夢中の毎日だった。
5年近くロスのハミングバードに関わる中で、一体何人の「野望」を抱くおじ様や、おば様に出会っただろうか。
「口の形だけ覚えれば発音は上手になる」という文句に魅かれ、「ハミングバードの教材さえあれば、これはビジネスになる。」と日本進出を考えるたくさんのおじ様、おば様に出会ったのだ。
確かに一瞬は、簡単に日本でも発音習得術の市場を開拓できそうに思うだろう。
しかし、はてはてそう簡単に行くものなのだろうか?最も重要なポイントは講師育成。
時間も労力も、そしてかなりの熱意も必要だ。・・・と20代の甘ちゃんは考えた。
日本でのハミングバードフランチャイズを目指す、塾を経営するおじ様。わざわざロスで顔合わせをし、話も進んでいるかのようにみえた。
・・がいつの間にか姿を見なくなった。こんなような出来事は何度となく続いたようだ。
「日本にもハミングバードができたら、私もそこに就職できるかしら?」という甘い期待も考も、その度にかき消されていったのだった。
卒業前の出来事だ。
担当していた生徒さんS氏が近いうちに帰国するという。
彼は某銀行員の駐在でロスに来て、何度かレッスンを受講していた。
発音の素晴らしさを実感していたのだろう、東京に帰り発音の学校を開きたいので一緒にやりませんか?とお声がかかったのだった。
「はい!」と即答したいところだったが、当時はまだ大学卒業まであと1年はあり、縁がなかったのだろうとあきらめたのだった。
その後、S氏は東京に戻り、発音矯正学校をオープンした。
先生は、私が教えていた生徒Hさん。
彼女は講師経験はなかったものの、同じく発音に魅了されていたので、東京への帰国が同時期だったこともありS氏と一緒に頑張ることにしたらしい。
1996年ごろのことだ。私はハミングバードの社長様から、S氏が東京・恵比寿にオフィスをかまえたらしい。
まず知り合いからレッスンをスタートしたらしい。と、近況は聞いていた。
(ハミングバードの社長様の本業はコンピューター関係なので、年に2、3回日本を訪れていた。その時様子を見に行っていたようだ。)
そして、しばらくして Hさん、S氏から個人的に直接私に連絡がくるようになった。
Hさんは、教える経験がなかったため分からないことだらけだったのだろう。
私に分かることは、できるだけのことを伝えた。
S氏からは、やはり東京に来て手伝って欲しいというオファー。
私は生まれも育ちも福岡北九州の「ど田舎」。田畑、山、海に囲まれて21歳まで過ごし、一人暮らしの夢は、留学で叶った。
「東京」といえば、ディズニーランドぐらいしか知らないし、自分とは無縁な場所だと思っていた。帰国後も地元に帰るつもりだったので、東京で生活なんて考えもしていなかったのだった。
帰国後、5年ぶりに戻った実家を1週間そこらの滞在で東京に向かった。
東京での住まいは、親戚の家に居候することに。右も左も分からない東京。
幸い、住まいが池袋だったので、山の手線に乗れば行きたい所には着いた。
そしてまずは、S氏を訪れた。歩けば恵比寿駅から2、3分の所だったが、訪問前に少し辺りを探検。
ところが、2時間うろちょろして、元の場所に戻れなくなり、コンビニで大きな地図を購入し大奮闘。(方向音痴は今も治らない。)
そしてやっとの思いで、S氏の経営する発音矯正学校に到着。看板は出せないということもあって、分かりづらかった。
それは綺麗なマンションの1室だった。教室らしきものが1つあり、受付と教室をパーテーションで区切っていた。その時はS氏が会社を設立して10ヶ月近く経った頃だと思う。
始めの2,3ヶ月は準備に時間がかかったようで、ちょっと教室らしくなってきたところだった。私はこうして東京でのハミングバード開校事業に足を踏み入れた。
私が訪れた8月初旬、生徒数は11人。
半分は知り合い。私が恵比寿を訪れた時には、講師としてHさんとFさんの2人がいた。
2人ともロスでの私の生徒さんだった。
Fさんは恵比寿からは3時間かかる筑波に住んでいたので、まさか東京まで出てくるとは思っていなかったのだが、彼女も発音矯正に魅了され週に何回か通っていた。
生徒数11人に、すでに講師が2人。
私は必要ないのではないか?というか、いればS氏の負担になるのではないか?とためらったが、方向性が決まらないまま毎日恵比寿に通いはじめた。
そして2人の先生のトレーニングをしてみたり、PCに向かって生徒さんのカルテを作成したり、東京での集客方法を考えた。
2人の先生にも意見を聞くと、「ああしてみたい。こうすればいいのではないか。」という案がいくつかあったが、S氏は本業が忙しく実際会えるのは1週間、ひどいときは2週間に1回。
やっと会えて相談しても、答えが来るのにしばらくかかる。
恵比寿校の維持費、人件費などお金はかかるばかりなので、思い切れないのは無理がなかったろう。
東京で広告をするのは半端な金額ではなかったのだ。
S氏は一人貯金をはたき、頭をかかえていたのだった。
私たち3人は色々考えた。そして、結論として「固定した給料はいらないから、2,3ヶ月任せてほしい。そして得られた利益から維持費を払い、余ったら人件費として分配するのはどうか。」という提案をだした。
(その時の生徒数でそれが可能かどうかは疑問だったが、私たちは1人でも多くの人に伝えていきたい気持ちでいっぱいだった。そして、自分達の思っていることを行動にうつしたかった。)
しかし、S氏は自分が中心となって、東京で4、5校のハミングバードを展開するのを夢だったようだ。
(とはいえ、本業が忙しくやっていけるのか疑問に見えたが。)そして結局、私たちの提案は却下されたのだった。
ハミングバードの社長様は、きっと賢いのだろう。
S氏の学校はただのモデル校として確保しつつ、他に資金力、ノウハウのある企業を探していたのだ。
(・・S氏が広げようとして頑張っている最中だったので、「世の中お金、経済力なのかな・・」と悲しい現実を見ました。)
8月下旬、社長様が来日。私は、大宮で塾の経営をしているというT氏を紹介された。
社長様いわく、T氏は手広く塾経営を行っているので、集客、フランチャイズのノウハウはもっている、とのこと。
以前にも、日本でハミングバード開校希望というT氏のような人にたくさん会った。今は一体どうしているのだろうか・・・。T氏は大丈夫なのだろうか・・・。
大宮駅から徒歩5、6分だろうか。今は誰も使ってないという教室のようなオフィスがあった。
T氏は50代ぐらいだろうか、確かにFC(フランチャイズ)ノウハウはあるような話ぶり。
すごいパワーで一方的に話す。
「この場所は使っていないから、好きに使いなさい。維持費は心配しなくていから、明日からでもやりなさい。」とこちらが口を挟む間もなく話し続けた。
しかし、あまりにもよすぎる話。逆に私は引いてしまった。
そのまま返事はせず、何度かT氏にお会いした。社長様は「T氏に任せれば大丈夫。結果報告はよろしく。」
と、アメリカに帰っていった。ある日、ひょんなことから、大宮の教室の真のオーナーという人に出会った。
T氏がオーナーと聞いていたのに??? 彼いわく、T氏とともには大宮でコンピューター関係の仕事をしていたが失敗。
T氏のFCに参加し、仕事を立ち上げ、半年で倒産してしまったらしい。そんな時、「留学から帰ってきた女性が、英語学校を開きたがっているので、オフィスを貸せばいい。」と提案したそうだ。そして、その話の続きはこうだ。
「留学から帰ってきたって、この世の中仕事なんてないんだから、3ヶ月で20万円ぐらい払えば喜んでやるよ。あたればラッキーだ。」という話をしていたらしい。
確かにそれは現実かもしれない。5年も留学して、ただ「英語がしゃべれます」という人は捨てるほどいる世の中だ。
日本企業は下手に留学かぶれしている人は雇いたくない、という話もよく聞く。
だから仕事先なんてないに決まっていると、思われても仕方がないかもしれない。それにしても大人の世界は裏表がありすぎる。ショックを受け、それ以後、T氏とは会わなかった。
10月1日。ロスの社長様から国際電話。
大阪の大手専門学校の方が興味をもっていて、恵比寿のレッスンを見学したい。
そして話を聞くようにとの電話だった。ロスの社長様の本業であるコンピューター関係で、その大阪の専門学校の理事長さんとは一緒に仕事をされているらしい。
その理事長様が部下に「東京に行ってこい。ハミングバードを導入しろ!」
と命令されたのでしょう。
そしてO氏がやってきました。おひげもじゃもじゃですごく優しそうな人。
実際の生徒さんと一緒に体験レッスンを一生懸命に受けて、感動してくれた。
その後、私とO氏が直接今後の話を進めていくことになった。
大阪で、新しく外語専門学校を開校するので、その中のカリキュラムで発音クラスをいれていきたいということだった。私もO氏の話に共感し、大阪まで行こうと思えた。彼は、「不可能が可能になることを教えたい。
やる気がチャレンジを導き、結果、人生がかわる。それを伝えていきたい。」と彼が語った新しい学校へ思いは、私が思い描く理想の学校理念そのものでした。その後、1ヶ月ほどかけて、大阪という離れた場所の学校に対し、私に何ができるのかをいろいろ考えては、提案書を作り、話し合いを何度も試みた。
はじめて作った提案書は、たった数枚だったがずいぶん苦戦したのを覚えている。
提案書に赤ペンを入れる先生は、単身赴任で近くに住んでいる私の父親。父の会社が終わる時間を見計らって、会社の寮に侵入。「だめだ!わかりづらい!」の一言で何度も却下。
「プレゼンとはこういうものだ」と、くどくど教えられた。そういう時は親子ではない。鬼上司だ。
1997年11月、大阪へいよいよ講師育成のため、出張することが決定。
翌年、4月から始まる外語専門学校の授業に取り入れるため、3月までに講師を育成しなければいけない。
その年7回大阪へ行き、1日中レッスンをする。翌年も7、8回出向き、教えるためのトレーニングを行う。
その後は、フォローで何度か大阪に出向くということで、話が決まった。初めての交渉、そして交渉成立。嬉しかった。
一番ホクホクだったのはロスの社長様。日本での展開が夢だったので、大阪にもハミングバードができるということでたいそう喜んだ。
そして、週に1回、新幹線通勤が始まった。緊張しながら、学校関係者と対面。大阪の方は、本当に親切な方ばかりで、丁重に対応してくださった。
大阪では、3人の方を育成することになった。大阪に通うのは楽しかった。皆、興味を示してくれ、一生懸命に私のレッスンを受けてくれ、また私自身も多くのことを学ばせて頂いた。こういう人達とずっと働いていきたいなと、思っていたが、幸せなことばかりではなかった。
東京でのハミングは大変な状況になっていた。10月中旬、恵比寿校を立ち上げた、S氏が突然「資金も底をついたので10月末をもって、私はこの仕事から手をひきます。今いる生徒さんには私から謝ります。」との置手紙。絶句。これからどうしよう…。私の東京生活は始まったばかりなのに・・・。
1999年5月 ハミングバードの本が書店に並んだ。
これまたなんともいえない複雑な関係で本が発行された。
著者は、昨日の結婚式の話で既に登場しているE氏。この本を手にとってみた方もいらっしゃると思うので、E氏の話に触れておきましょう。
私がロサンゼルスで講師をしていたころ、すごーい立派な経歴の持ち主の方がレッスンの見学に来た。年齢は70代くらいだが、見かけはすごく若かった。
どこかの大企業の役員か何かで、英語力は抜群というE氏だ。
そのE氏には独自の英語勉強法を持っていた。その方は独学推進派。その独学の1つとして、発音ならハミングバード、と興味をもったらしい。
そして、日本からロスに見学に来て、60,000円也!のビデオセットを購入。それをご自分で独学、研究され、本として出版したのだ。
「E氏式」の英語勉強法なので、実際ハミング発音スクールで教えている内容とはかなり違う。「ここで教えている内容と全然違うのはなぜ?」と生徒さんからよく尋ねられることもあった。
ハミング発音スクールのレッスンの仕方は、「理屈」が中心なのでなく、「実践」中心。つまり難しい理論はおいておいて、とにかく身体で覚える。これが大事だと考えています。
それにしても、あの2時間足らずのビデオであれだけ研究されているのはすごいと思う。
E氏が出した本のおかげか、当ハミング発音スクールの生徒さんも増えた。そんな中で多かったのは、「ビデオを購入して、独学をしたのだけど、よくわからなかったので。」という生徒さん。
その後、このE氏と何度かお会いする機会があったのですが、これまた違う大人の世界を見たのでした。この話は、また後でお話しましょう。
1999年7月には、初めて遠方の方が受講されました。
きっかけは、名古屋にお住まいのその方からロスのあのビデオ7本を購入したいとの電話。
開校当時は、ロスからの流れでビデオ教材も販売していたのですが、なんせ高い。
(安くしたいのは山々だったが、当校が作ったわけでなくただの輸入だから勝手なことはできない)「六万は高い!」という声の他には、「テキストに比べると収録されている文章が少ない」
「7本のわりに時間が2時間しか入っていない」
「日本語の説明がはいっていないので、どうやって音をだしていいか分からない」
「やっぱり通わないとわからない」というお声が沢山あった。
しかし、確かに私が生徒の時にも購入は義務だった。
ハミングバードのビデオ内容は楽しくていいと思うが、独学で練習する為には、教材にはかなり詳しい説明と、あとやる気が必要だ。
名古屋の方にも一応、「販売するにはしておりますが、独学ではなかなか難しいかと思います」とお伝えした。
とにかく「教材が売れればいい。売りっぱなし」は嫌だったので、最初の使い方だけでも説明させてもらうなりの、なんらかのフォローをしたいと思った。
ということで、購入前に一度東京に足を運んで頂き、ビデオ内容の説明、練習の仕方を詳しく説明したのでした。
そしてそれ機に、なんと継続して通学生徒になってくれたのでした。
東京に来るまでの時間、費用を考えたら大変なことだと思うのに、月2回は通ってきてくれた。本当に嬉しい限りです。
そして、それから少しずつ遠方の方が増えてきた。短期集中でレッスンを受けて、しばらく自宅で練習してというパターンの方、または、2週間に1回は通って、2,3時間続けてレッスン受ける方。
南は鹿児島、北は北海道。海外からはアメリカ、シンガーポールと。つい先日は、アメリカに永住し、ご主人もアメリカ人の奥様。ご主人に発音を教えてもらっても分からないということで、1週間わざわざ受講しに日本に来てくれ、1週間でかなり上達され満足頂きました。
こうして、ハミング発音スクールの生徒さんは、世界各国に!
遠くからでも通う価値のあるレッスン目指してこれからも頑張りたいと思います。