留学22 カリフォルニア州立大学 での生活

 カリフォルニア州立大学に編入し、キャンパスライフをエンジョイと思っていたのはつかの間。

大学生活は、とにかく卒業できるように、単位が取れるように死に物狂いだった。

専攻がスピーチコミュニケーションだけあって、スピーチのクラスだ、ディベートのクラスだと緊張の連続。 続きを読む

36.チャレンジの舞台…

渋谷駅周辺にこだわって探したがなかなか見つからなかったため、少し範囲を広げて原宿、代々木駅を探して回った。
渋谷駅を見た後なので、原宿駅、代々木駅の大きさには、ちょっとがっかりした。
こんなところで宣伝効果あるのかな?でも贅沢はいってられない。 続きを読む

留学21 あなたの英語はカタカナ英語 

1992年 アメリカの大学に何とか入れたものの、それからが大変。

英語が聞き取れない

政治学なんて最悪 先生は かなりのおじいちゃんで、
録画して 自宅で何度も聞いても何言っているかわからなくて どん底。。。 続きを読む

35.事務所探し 断られる英語教室…

恵比寿の教室は、マンションの1室だった。
今度はもっと人目につく場所でオフィスを探そうと、不動産巡りで歩き回った。
・・・といっても東京の地理はちっともわからない。
どこがいいのか、どこに何があるのか、自分の足で探すしかなかった。 続きを読む

34.怒涛の会社設立

父が協力するといってくれてから、行動が早かった。
その日のうちに九州にいる母に電話をかけ、「会社設立の手続きをしておくように」の一言。
私には、事業計画と収支計画を出すように一言。「!?」今まで、英語の勉強しかしていなかった私、経営の言葉は何ひとつ耳にしたことがなかった。 続きを読む

33.父と母。そして私

私の父は今どき珍しい「地震、雷、火事、おやじ」という言葉がよく似合う父だ。恐ろしく厳格な父である。
「パパ」でなく、まさに「オヤジ」。高校時代、よくその家庭環境でぐれなかったね。と番長である元クラスメートに言われたことがある。 続きを読む

32. 諦めたくない!「発音」にこだわった学校…

1997年、26歳 貯金は20,000円也。自分の生活のためだけならなんとでもなる。でも私は、どうしても発音学校をやりたい。
しかし、現実問題としてやる気や理想だけでは、どうしようもない。
今までは、S氏が恵比寿の教室での費用を払ってくれていたので、何の心配もいらなかったのだ。しかしそれは断ち切られるのだ。 続きを読む

30.大阪でも発音クラスの芽が

1997年 10月1日。ロスの社長様から国際電話。
大阪の大手専門学校の方が興味をもっていて、恵比寿のレッスンを見学したい。そして話を聞くようにとの電話だった。 続きを読む

29.指導教案作りの毎日… 

そして私はまた毎日恵比寿に通い、何よりも指導教案を作ることに力を入れた。
ロスにいた時も、社長様から私の教え方を紙面にして、教案を作るように言われていた。
(当時は時間的に無理だったので、何も作らなかったのだが。)
また、ロスにいたある日、レッスン中、ビデオカメラをもって社長様が教室へ侵入してきて、教え方を撮っておきたいと言われたこともあった。
かなり勝手に自分で工夫してレッスンをしていたが、レッスンの仕方や内容を次に育てる先生に見せたいというのだ。 続きを読む