40.病気と転勤により仲間の講師が去る

1998年2月下旬。嵐はまた突然やってきた。一緒に頑張ってきた先生Hさんから、突然の電話。
「子供ができたんだけど、卵巣脳腫ができて・・・ごめん。もう仕事できない。」私は絶句した。
昨日まで元気に一緒に働いていた彼女が明日からもう来ない・・・。 続きを読む

39. 初めての営業

当時は、二十代後半の女性2人とレッスンを進めていた。
輪が広がりつつあったその当時の生徒数は決して大人数ではなかったが、生徒さんはとても満足し、とても楽しんでくれていた。 続きを読む

38.口コミとマスコミで徐々に…

学校を開き、教室を作っただけで、「発音矯正学校」を広める手立てはなく、お先は真っ暗。
しかし、徐々に生徒さんが生徒さんを紹介してくれて・・・という口コミで少しずつ広がっていった。
この生徒さんの紹介というのは今でも嬉しいものです。

さらに、ひょんなことから産経新聞の取材も受けた。 続きを読む

37. 引越し、教室作りの地道な毎日…

1997年12月。いよいよ代々木の地に、新しい教室の準備が始まった。
まずは、教室を区切るパーテーションをいれる工事。そして引越し。年末年始は大忙しで、引越しソバと年越しソバを一緒に食べた。 続きを読む

留学22 カリフォルニア州立大学 での生活

 カリフォルニア州立大学に編入し、キャンパスライフをエンジョイと思っていたのはつかの間。

大学生活は、とにかく卒業できるように、単位が取れるように死に物狂いだった。

専攻がスピーチコミュニケーションだけあって、スピーチのクラスだ、ディベートのクラスだと緊張の連続。 続きを読む

36.チャレンジの舞台…

渋谷駅周辺にこだわって探したがなかなか見つからなかったため、少し範囲を広げて原宿、代々木駅を探して回った。
渋谷駅を見た後なので、原宿駅、代々木駅の大きさには、ちょっとがっかりした。
こんなところで宣伝効果あるのかな?でも贅沢はいってられない。 続きを読む

留学21 あなたの英語はカタカナ英語 

1992年 アメリカの大学に何とか入れたものの、それからが大変。

英語が聞き取れない

政治学なんて最悪 先生は かなりのおじいちゃんで、
録画して 自宅で何度も聞いても何言っているかわからなくて どん底。。。 続きを読む

35.事務所探し 断られる英語教室…

恵比寿の教室は、マンションの1室だった。
今度はもっと人目につく場所でオフィスを探そうと、不動産巡りで歩き回った。
・・・といっても東京の地理はちっともわからない。
どこがいいのか、どこに何があるのか、自分の足で探すしかなかった。 続きを読む

34.怒涛の会社設立

父が協力するといってくれてから、行動が早かった。
その日のうちに九州にいる母に電話をかけ、「会社設立の手続きをしておくように」の一言。
私には、事業計画と収支計画を出すように一言。「!?」今まで、英語の勉強しかしていなかった私、経営の言葉は何ひとつ耳にしたことがなかった。 続きを読む