英語の発音スクール 誕生秘話

33.父と母。そして私

私の父は今どき珍しい「地震、雷、火事、おやじ」という言葉がよく似合う父だ。恐ろしく厳格な父である。
「パパ」でなく、まさに「オヤジ」。高校時代、よくその家庭環境でぐれなかったね。と番長である元クラスメートに言われたことがある。 続きを読む

32. 諦めたくない!「発音」にこだわった学校…

1997年、26歳 貯金は20,000円也。自分の生活のためだけならなんとでもなる。でも私は、どうしても発音学校をやりたい。
しかし、現実問題としてやる気や理想だけでは、どうしようもない。
今までは、S氏が恵比寿の教室での費用を払ってくれていたので、何の心配もいらなかったのだ。しかしそれは断ち切られるのだ。 続きを読む

30.大阪でも発音クラスの芽が

1997年 10月1日。ロスの社長様から国際電話。
大阪の大手専門学校の方が興味をもっていて、恵比寿のレッスンを見学したい。そして話を聞くようにとの電話だった。 続きを読む

29.指導教案作りの毎日… 

そして私はまた毎日恵比寿に通い、何よりも指導教案を作ることに力を入れた。
ロスにいた時も、社長様から私の教え方を紙面にして、教案を作るように言われていた。
(当時は時間的に無理だったので、何も作らなかったのだが。)
また、ロスにいたある日、レッスン中、ビデオカメラをもって社長様が教室へ侵入してきて、教え方を撮っておきたいと言われたこともあった。
かなり勝手に自分で工夫してレッスンをしていたが、レッスンの仕方や内容を次に育てる先生に見せたいというのだ。 続きを読む

28.大人の裏表な世界…

大宮駅から徒歩5、6分だろうか。

今は誰も使ってないという教室のようなオフィスがあった。

T氏は50代ぐらいだろうか、確かにFC(フランチャイズ)ノウハウはあるような話ぶり。
すごいパワーで一方的に話す。「この場所は使っていないから、好きに使いなさい。維持費は心配しなくていから、明日からでもやりなさい。 」とこちらが口を挟む間もなく話し続けた。しかし、あまりにもよすぎる話。 続きを読む

27. その頃、ハミングバードの社長様は…

ロサンゼルスのハミングバードの社長様は、きっと賢いのだろう。
S氏の学校はただのモデル校として確保しつつ、他に資金力、ノウハウのある企業を探していたのだ。
(・・S氏が広げようとして頑張っている最中だったので、「世の中お金、経済力なのかな・・」と悲しい現実を見ました。) 続きを読む

25. 1997年夏 帰国そして初上陸のハミングバードへ

帰国後、5年ぶりに戻った実家を1週間そこらの滞在で東京に向かった。

東京での住まいは、親戚の家に居候することに。幸い、住まいが池袋だったので、山の手線に乗れば行きたい所には着いた。

そしてまずは、S氏を訪れた。歩けば恵比寿駅から2、3分の所だったが、訪問前に少し辺りを探検。

ところが、2時間うろちょろして、元の場所に戻れなくなり、コンビニで大きな地図を購入し大奮闘。(方向音痴は今も治らない。) 続きを読む

24. ロスでの生活にピリオド…

卒業してまもなく、「よし!すぐにでも帰国しよう。そして塾で働きながらでも、ハミングバードをやっていく方法を見つけよう。」と決心。

とても良くしてくれていたハミングバードの社長様。

そしてチーフであるLuna。
留まるように何度も声をかけてくれた。ビザも手配し、専任講師になるようにも誘ってくれた。 続きを読む