ハミングバード日本総代理店?

1999年2月か3月ごろだったろうか。ロスの社長様から連絡があった。ロスの日系企業である某新聞社の社長O氏がハミングバードに興味を持ち、世界中で展開する予定があるという。年末にはアメリカに4,5社。日本でも同様の展開を考えているとの事。そして、そこの社員の方が代々木に来るので、説明して下さいという連絡だった。こういう話しは今までもよくあった話だったので、快くそのお客様を待つ。その2,3週間後、講師育成で通っていた大阪の大手専門学校の担当の人から連絡があった。「今、ロスから某新聞社の社長O氏が大阪に来ています。コネがあるからハミングバードを日本全国の新聞で宣伝し、また自分たちがハミングバードの総代理店になる予定だから・・・と、挨拶にいらっしゃいました。どうなっているのですか?」とのこと。「どういうこと???」と私もびっくりの状態。突然、会ったこともない人がきて、宣伝してあげるから・・・といわれても。大阪では、すでに自社でネットワークを広げ、ハミングバードを取り入れたレッスンを行っていたので困惑したのでした。結局、「はい、詳細は確認してご連絡いたします。」ということで、うやむやのままその話は終わった。
それから時は過ぎ1999年夏。突然、初めて聞く名前の某会社の会長と秘書の方が訪問してきた。「今年6月、ロサンゼルスのハミングバードと契約を結び、日本での総代理店となりました。よろしく。」とのこと。「またどういうこと???」またまたびっくり。「某新聞社の方はどうなったのですか?」の質問に、「彼の紹介で私たちが日本での展開をすることになりました。来年には日本全国少なくとも9箇所のハミングバードをオープンし、すぐにフランチャイズ展開を行います。某新聞社は、日本以外の全世界に展開していく予定です。」との回答。私は「はあ・・講師が要なのですが、講師育成はどうされる予定なのですか?」と率直な質問をぶつけると「人材は山ほどいます。英語に興味のある人はたくさんいるのだから、講師育成なんて2、3ヶ月あれば十分。そんな心配は少しもしていません。」とあっさり。内心私は、「講師育成って、すごく大変なのに・・・」と思いつつ、話を一方的に聞くような形でこの話は終わり、彼らは帰っていったのでした。

聞くところによると、ロスのハミングバードの社長様が某会社と契約したのは、私達の結婚式に参列する前だったようだ。我がハミング発音スクールは、1997年に代々木にて実父の助けで、有限会社ハミングバードとして会社を設立したのは前述の通り。設立して、2,3ヶ月後には実家福岡に父は戻り、実質的には私と他の講師だけでやりくりをしていた会社だ。会社設立時、ロスのハミングバードの社長様はモデル校が日本で存続することを大いに喜んだのだったが、私たちは、モデル校になりたかったわけではなかった。父と2人で、ハミングバードの「専用使用権」を与えてほしい、いずれは、日本の総理代理店としてやっていきたいのだ、とお願いしたのだった。だが、「広げるためにはお金が必要。あなたたちは何百億円もだせますか?」との回答。私たちの「無理です。」の返事に「出せないのなら、私は他にスポンサーを探します。いいですね?」と突き放されたのだった。26歳だった私は心の中で「世の中、お金だけなのかな?お金さえあれば広がるの?でもお金なんだ」と落胆と疑問でいっぱいだった。どちらにしても、そんな大金集めることなんてできない。私は何も言えなかったのだった。こういう一件があったので、ロスの社長様が他のスポンサーを探しているのは知っていった。でも、悲しかった。何が悲しかったか?それは、6月の結婚式に参列して頂いた時、前日に同じホテルに宿泊し、私を含め両親とハミングバードの話をして、総代理店が見つかった事も契約した事も、一言も話してくれなかったということです。

確かに、私たちは大金も持っていないし、日本全国あっという間にフランチャイズ展開なんてこともできない。しかし、よりたくさんの人に発音を学ぶことによって、自信とプラスアルファーの力を持って欲しいという気持ちは誰にも負けないつもりだ。そう思って、日本に帰ってからの2年間をがんばっていた。それなのに、何の話もなく、突然「はい、今後私が総代理店です。私の下で働きなさい。」といわれても・・・・とてつもない悲しさと同時に憤りさえ感じたのでした。
私たちが日本でハミングバードを始めるもっとずっと前に、ハミングバードを日本で広げようと、東京で開講していたという人から連絡をもらったことがあった。1998年暮れぐらいだっただろうか、私より、2,3歳上ぐらいの人だったと思う。やっぱり発音に魅了されて多くの人に伝えたいと、副業として発音教室を開いていたらしい。1年間頑張ったが、諦めざるをえない状況になってしまったのだそうだ。HPで、私が同じようなことをしているのを知り、遠方から訪ねてくださったのだった。御茶ノ水で何人かの友達と広げようとしていたらしいが、ロスの社長様と色々あり、辞めてしまったのだそうだ。自分たちができなかったことを、頑張って欲しいと熱く語って下さった。
こんな風に、私の知らないところで、多くの人が発音教室を運営しようとしていたのかもしれない。しかし、当時は発音なんて興味ももたれない世の中。しかも “発音はネイティブから”に決まっている、日本人から習うなんてとんでもないという世の中。ただでさえ、肩身の狭い発音なのに、その上、莫大の資金力がないと夢は叶わないというのだろうか。でも私は、「お金だけじゃない。熱意さえあれば!」と心のどこかで強く熱望していた。だから、私は、他にスポンサー校ができようが、ただのモデル校としてしか見られなかろうが、諦めるつもりは全く無かったし、発音の重要性と魔力を多くの人に伝えたかった。

しばらくして、「ハミングバード日本総代理店」と名乗る会社の人たちが尋ねてきた。「近いうちにハミングバードを開校します。あなたたちは、ハミングバードの看板を降ろすか、私たちのフランチャイズに加盟するか、どちらかを選んでください。」との話。「今まで私たちがやってきたことはどうなるのですか?レッスンの教え方にしても、カリキュラムにしても、ロスのとは全く違うシステムに変わってしまっています。」と私は尋ねました。(実際、ハミング発音スクールでの教授法は年々進歩し変化しています。長い生徒さんでは、ここの開校以来約6年通ってきてくれており、100時間、200時間プライベートで受けていても、毎回新しい発見があると言ってくれます。ハミング発音スクールの教授法は、レッスンを担当していく中で、新しい発見、方法が見つかり進歩していたのです。しかし、そんな変化や、改良して欲しいことをロスの社長様に訴えていたのですが、まったく認めてもらえずにいたのでした。現場に携わっているからこそ、新しいアイデアや、問題点が出てくるのだと思います。けれど、実際にレッスンに携わることのない社長様にうまく伝えるのは困難なことでした。それが、また間に代理店が入ったら・・・・、ますます現場の意見なんて届くこともなくなってしまうのではないか、という不安を感じました。)そして「ハミングバード日本総代理店」と名乗る会社の人たちは、「そうですね。仕方ないですね。どちらにしても私たちが総代理店になったのです。どちらかを選んでください。」と言って帰られたのでした。これが、ビジネスの世界なのかと涙があふれてとまりませんでした。

忘れもしない、1999年8月中旬。厄年が一気にやってきたような、怒涛の3日間がやってきた。
私はその1ヶ月前の7月に念願の命を授かっていた。けれど妊娠が分かったその日から出血していたため、不安いっぱいで病院へ行き「可能性は50%、50%でしょう」と一言。赤ちゃんの心拍確認後も出血していた。「もしかしたら障害をもって生まれるかもしれません。」それから総合病院に変えて様子を見ている時に悪夢の3日間はやってきた。
悪夢の3日間の1日目午前中。病院に行き、即自宅安静といわれた。それでも出社。なぜならその日の午後、「ハミングバード日本総代理店」の代理の人が訪問する予定だったからだ。「ハミングバードの看板をおろすか、加盟店として働くか。」の選択を求められて、何の答えも出していなかったので、話をまとめる為にわざわざロスから代理の人がいらしたのだ。実際会ってみると、以前話に出てきた某新聞社の社長O氏だった。O氏の話によると、最初はO氏が日本全国で展開予定だったが事情により、日本以外で展開するつもりとのこと。まずは、アメリカで、4,5箇所。日本では、その方の紹介で今回登場してきた企業の方が受け持つことになったという。この話を聞くと、今すぐにでも世界各地で発音教室展開が可能で、絶対うまくいく、というなんともいいお話。・・・しかし、ロスに住んでいる時からこの発音に携わって6年以上。色々な人たちの試みをみていても、また同時に講師育成の大変さを実感している私にとって、そんなにとんとん拍子に話は進むだろうか、という疑問で一杯だった。
私は私のわかる範囲のことを代理の方に話しはじめました。
まず発音講師について。「発音の先生は『英語が話せるから明日から先生やってください』や塾のように『英語が得意なので、はい教壇にたってください』というわけにはいきません。また『発音に自信があります』と、流暢な英語を話す人がいい講師として教えれるかというと、そうでないことがとても多い。自分で発音ができるのと、教えられるのは全く別問題なのです。1999年の時点で30人以上の講師を育成してきましたが、厳しいトレーニングに辞めていった人、想像していたよりも難しいと感じ辞めた人が多くいました。また、発音を教えるのには、とてつもない忍耐力も必要になってきます。忍耐力を持って、生徒さんの上達に喜びを感じられなければレッスンを担当するのは苦痛で仕方がないと思います。そんなこんなで途中で辞めた人は沢山います。それだけ発音講師を育成することは大変かと思います。」とその方にお話した。その方もやっぱり人材育成は一番簡単に考えていたようで、3ヶ月後にはハミングバードを開校する予定でもうすでに広告を始めているという。2000年1月からニューヨーク、ハリウッド、ワシントン・・・各地でハミングバード開校の宣伝を、自社の日本人向け新聞で始めるそうだ。しかし、この講師育成の難しさを聞いて、不安に感じ始めたO氏。結局、その日のその話はそれで打ち切られ、明日に持ち越すことになった。その日の夜22時ごろ、父が福岡から駆けつけた。それからが大変だった。終わりのない議論とともに、長い夜が始まった。
父と主人と3人で今後のことについての話し合い。お腹の赤ちゃんの様子がよろしくないので自宅安静でといわれたその日の夜は、朝まで泣き通しになった。父はハミング発音スクール存続に反対した。理由はたくさんあった。フランチャイズに入るということは、今まで私がやっていことを捨てなければいけない。私がハミングに携わって7、8年の間、作りあげたこと、新しいカリキュラムや新しい教え方、ノウハウ、講師育成方法、などなど全てを捨てて、フランチャイズの親に従わなければいけなくなってしまう。さらには、いろいろな改良点、問題点を提案しても取り入れてくれるとは限らない。これまで、ハミングは講師陣同士の間でいろんなことを積み上げてきた。そして喜びをみいだしていた。それが、上から言われてその通りにする。歯車のひとつになるのだ。確かに楽になることもあるだろうが、今までの頑張りが無になってしまうのは嫌だった。さらに、生徒さんにとって、古いレッスン方法に戻ることは不利益、迷惑そのものだった。父には、そこまでして続けることができるのか?と問われた。
やるからには、私ひとりではやれない。夫婦の協力なくしてやってはいけない。父は、主人に「本当にやっていけるのか?」という結納以来の雷が落ちた。「どうしていくつもりなのか?どうなるのか?」を話し続けて朝になり、そのまま学校へ出かけた。自宅安静どころか一睡もできなかった長い夜だった。

2日目には、O氏と当時の経営責任者であった父との話合いが始まった。話し合いの具体的な内容については、関係諸氏にご迷惑をかける可能性もあるので控えさせていただきますが、その後、O氏は講師募集をし、本家ロスのハミングバードにて講師をひとり育成したそうだ。しかし、1年後にはニューヨーク、ハリウッドなどアメリカ各地に開校という話は、すっかり無くなって手を引いてしまったそうだ。
父とO氏2人は何をそんなに話したのか、話が終わったのは夜の23時ごろ。総代理店になった某企業は遅くとも2000年末には全国各地でハミングバードを開校する予定だという。ロスの社長様との契約内容の中には、「ハミングバードの教材を使用している既存のところはそのままにしておく」という条項もあるらしい(総代理店になった某企業の会長さまのお言葉なので確認はできませんでした)。つまり、認める事は今やっている範囲内だけで、その範囲を超えたらだめということだったのだ。分かりそうで分からなかった。
東京で比較的メインにハミングバードの教材を使っているのは、本を出版したE氏だった。本を出版されてから、何度かお会いしていろいろな話を聞いた。なんといっても独学推進派のE氏。私たちのやっていること、つまり、「学校にお金を払って、時間もかけて習い事をする」ということに疑問を持っていた。彼は、「学校に行かなくとも、一人で、そして短時間で発音は学べます。」というポリシーの持ち主。学習法も経営も、独自のすばらしい方法をお持ちのE氏。ただ、彼にとって腑に落ちないのが、「どうして独学でできるのに、お金と時間を犠牲にしてまでハミング発音スクールに通う者がいるのだろう?」ということだったようだ。E氏から教材を購入して独学をしていた、という女性が当校に通いだした時、その方から電話があり「なぜ、学校に通うのか?」という内容で1時間以上彼女と話しをしたらしい。その後も、そういうふうに尋ねられた人が何人もいたことを知った。確かに、学校に通わず短い時間で効率よく、しかも一人で学べるには越したことないのだが・・・。
では、なぜ皆さんが、ハミング発音スクールに通ってきてくれるのか?私たちのハミング発音スクールに通ってきてくれる生徒さんは、「発音を上達したい」という人だけでなく、「今まで英語の勉強は避けてきたのだけどもう一度挑戦してみたい」と願っている人、また通ってみて、「習い事は長く続かなかったのにここでは驚くほど継続でき、あらゆることに自信がついてきた」という人、「もっと明るくなりたいと願って通いだし、表情が豊かになり、話すことが楽しくなってきた」という人・・・といろいろな方がいます。発音を通して、発音だけじゃない自信や達成感など何か違うものを見出し、それがその人の宝になっているのだと思います。私たちは、独学では得られない「何か」を生徒さんに伝えているんだ、と自負しているのです。
ということで、E氏学習法は素晴らしいのだが、私たちの道とはかなり違いがあったので、いつの間にかお会いする機会も無くなっていった。そして、そのE氏は学校を開いている訳ではないので、今回のハミングバードのフランチャイズ問題からは、外れていったのだった。
そして、もうひとつハミングバードを取り入れた大阪の専門学校。当初は学校の授業カリキュラムの中でハミングバードを使用しているだけなので、これまた問題にならなかったらしい。(現在は個人向けにもクラスを持ち、「テラ発音メソッド」として学校を開いているので、うちとは変りのない状態にある。)その他、個人的にハミングバードの教材を使っている人たちが、日本全国に数多くいたのだが、代々木ハミング発音スクールのように、発音だけに特化して営業している学校は他にはなかったようだ。そして、私たちはターゲットになっていったのだった。
総代理店は、今まで英語業界には無縁だったという企業。「契約しました。そして総代理店になりました。」というところまで話は分かったのですが、現在学校があるわけでも、講師がいるわけでも、ノウハウがあるわけでもない状態だった。だから、話し合いでは「はい我々がフランチャイズの親です。従いなさい。」という説明に対し、「では親分として具体的に何をしてくれるのですか?」という話が続いたようだ。そして、その問いに答えないで「従えないのであれば、ハミングバードの教材も使わず、また看板もおろしてください。」という話の繰り返しだったらしい。
細々とやってきた私たちの学校。しかも本家の社長様からは「モデル校」としてだけの扱い。だから、専用使用権や、本部としての契約をさせてもらったわけでもない。(経営力も資金力もない私がただ、発音スクールをやっていきたいという気持ちだけでやっていたので、続くわけがないと思っていたようですが。)スポンサーが見つかり、本家の社長様のハミングバード日本進出の夢が叶うのであれば仕方のない話だったのでしょう。私たちは何もできなかったのでした。ただ、ただ、やるせない気持ちで、状況を見守ることしかできませんでした。
2日目の夜、O氏との話し合い後、夜中からまた父と主人と3人の話し合いがはじまった。
すでに丸一日24時間寝てない私たちは、頭がボーとしていた。父はやはりハミング発音スクールを継続することには反対した。「もうどうしようもない、あきらめなさい。」という父の言葉。私はこれまでのことを振り返っていた。
留学して、発音の壁にぶつかり、挫折を味わった。カタカナ英語でもなんとかなったのだろうが、自分の発する英語に自信が持てなかった。1992年のそんな時、ロスで、ハミングバードに出会い、何を間違ったか講師になり働くようになり、私と同じような挫折感を味わった人たちとも沢山出会った。私が発音を教えたからといって、急にペラペラしゃべれるようになったわけでもない。ただ、単語ひとつが英語らしくなった、HELLO一言がすごく英語っぽくなった。ほめられた。そして、しゃべることが楽しくなった。という生徒さんからの小さいけれど大きな喜びの声を聞けることが嬉しくて仕方がなかった。留学すれば、英語もペラペラに発音もネイティブ並みになると思っている人も多いでしょう。確かにそういう方もいるかもしれません。でも留学前に日本で、そして英語というものに触れた早い時期に、この発音をマスターできれば人生変わるのではないかと思うのです。だからこそ、ロスでなく、日本で多くの人に伝えたいと夢を抱き上京してきた1997年。ロスにいるときから、10年近く、発音にどっぷり漬かって頑張ってきた。成功をおさめているわけでも、何でもない。けれどこの小さな代々木の学校に、楽しそうに通ってきてくれる生徒さんがたくさんいる。この生徒さんたちの笑顔を、一人また一人と思い浮かべると「なにがなんでもがんばろう!」「でも、もう限界。みなさんごめんなさい!」と気持ちが揺れ動いた。「もう学校は閉めなさい。」との父の言葉。どこにそんな涙があるの?というぐらい一晩中泣き続けたのでした。
この時は、結婚してまだ2ヶ月も経たない、しかもお腹には命が育っているといことが分かったばかり。私のただ、「やりたい!辞めたくない!」というわがままに振り回される主人。主人にとっては災難だったと思います。主人が「専業主婦をしなさい」といえば、それで話は終わりだったのだろう。しかし、主人は「自分が一緒に頑張ります」と、言い出した。主人の本業は英語には全く無縁。ただ、講師育成のモニターになる機会が何度かあり、発音を少しずつ体得していく素晴らしさとそれを伝える仕事の喜びを理解してくれていた。しかし父は、「頑張りますといっても、片手間でできるほど経営は簡単なものではない。何を馬鹿なことを。」とさらなる怒り。結局、主人は自分でやっていた仕事を辞め、ハミング発音スクール一本でやっていくことを決心した。(・・それでも父親は、しばらく主人の決心とその行動を許してくれなかった。『お遊びじゃないのだ』と、『本当にやっていけるのか』と、何度も主人にぶつかっていた。そして、 1、2年後やっと会長に退き、主人が社長になることを許してくれた。)この夜の話は、明るくなる朝6時ぐらいまで続いた。やっと1,2時間眠ることができた。

やっと眠りにつけた4時間後には、ふたたび学校でO氏と向かいあっていた。2000年春には、総代理店が学校を開くことになっていた。その時に、基本的に詳細は話し合いの上、傘下に入るということで長かった話し合いは幕を閉じた。基本的に傘下に入るという方向性をつけないと、O氏はロスに帰れなかったようですが。それから2000年春までの8ヶ月間、私達の歩むべき道を決めなければならなかった。この3日間の苦しさと、これからの不安で涙が止まらなかった。そんな時、一緒にがんばっていこうと多くの生徒さんたちが励ましてくれた。応援してくれる先生、仲間や、生徒さんがたくさんいたからこそ、その後も頑張れた。その日の夜は、お腹にいる赤ちゃんに「無理してごめんね。そしてよく頑張ったね」と謝って眠りについた。そのときの命が今、4歳になる長女です。妊娠中止まらなかった出血も途中で止まり、なんとか生まれてきたのですが、生まれて2.3週間後から子供に異変がおこり、2000年は育児も仕事も大変な年になったのでした。
怒涛のような3日が過ぎたが、その後ものんびりはしていられない。今後の歩むべき道について議論を重ねた。1996年に日本で始めてハミングバードを開講した時(以前お話したように、実際はもっと前にハミングバードが日本に上陸し、1年間ほどレッスンを行っていた方がいたのだが。)、ロサンゼルスの学校の流れで、ロスで作られた2時間ほどのビデオテープ7巻とテキストをセットで教材として使用していた。卸売り価格で250ドル。当時、4万円近かった。さらにアメリカから輸入のため、関税や送料などもかなり加算されていた。仕入れ時、1000セットまとめてならば安くしてもらえるとの話だったが、それは無理だった。それでもしばらくは、ビデオとテキストをセットで輸入していたが、やはり値段がネックで、途中からテキストのみに切り替えた。・・がしかし、テキストだけでも1冊20ドル。決して安くはなかった。しかし、このテキストがなければ学校をやっていけない。そして、今後このテキストを販売してくれなくなれば、やって行けなくなるという不安が沸き起こった。さらには、ハミングバードで扱っている8つの口、舌の位置はアメリカ特許(具体的には、また次の機会で)をとっている。アメリカ特許とは、日本でビジネスを行う上どれほどの影響力があるのか?考えれば考えるほど、独立は無理・・・。やっぱり続けたいならば、吸収されるしかないのか・・・。言われた通りにやっていくしか方法がないのか・・・。もっと現場の声を聞いてもらえ、改良していく事業にも携われるのなら話しは別なのだが。議論を重ねながら、四面楚歌のような状態にどんどん落ち込んでいった。

この事件の時、すでに代々木で発音スクールを開校して2年が経っていた。生徒さんの数も増え、講師数も教室数も拡張したいと考えていた時の出来事だった。しかし、あの悪夢の3日間の話し合いで、「代々木校の既得権は認めるが、代々木以外での新規開校はだめ。」そして「教材や価格の足並みをそろえ、フランチャイズに加盟しなさい。」という結論に。素直に従うしかないのだろうが、そのまま黙って待つよりも法律の専門家弁護士さんに相談することになった。最終的には複数の弁護士さん、弁理士さんにお会いすることになり、結果的に学校を運営する上でとてもいい勉強をさせてもらったのだった。
それまで、特許や知的所有権、営業権・・・など「法律」など考えたこともなかった私たちだったが、本屋でそれらに関しての本を購入してまず勉強。知れば知るほど難しい世界だった。

調べて分かったことは、「特許」でも「契約」でも国が違うだけで大きな違いがあったことだ。ロスのハミングバードの社長様は、本業としてはコンピューターの会社を経営している。社長様は、福岡生まれで、16歳でアメリカに渡ったらしい。両親や祖父母もアメリカで育ったようだ。私はロスにいたころ、社長様の娘ルナと一緒に働いていた。日本人の両親から生まれたので見た目は日本人なのだが、生まれも育ちもアメリカなので英語のほうが達者だ。母親とはつたない日本語で会話しているらしい。このルナがハミングバードのメソッドの要の人だったと思う。(6年前ほど3人の子供ができ、引退した。)
ロスの会社には娘であるルナと、シドという男性、そして2人の日本人がいた。その日本人が分かりづらい英語を話すので発音を教え出したのがきっかけだったらしい。そして、8つの口の形と8つの舌の位置という案がでてきたようだ。ハミングバードの口の形の案は、ルナの口の形そのもの。その絵が英文の下に出るビデオ(ルナとシドが登場して音楽にあわせて発声しているビデオ。シドは東海岸で育った人。その上男性なので、ルナの口とかなり違う。)を見ながら音楽にあわせて練習していくというのがハミングバードのメソッドだ。レッスンのはじまりは、1988年ごろ。コンピューター会社の事務所の1室で留学生、駐在員を集めてほそぼそとレッスンを始めたのだそうだ。そのときの生徒の一人が私。今から10年以上も前にビデオ教材を作成するのは大変だったと思う。そのビデオを作った時に、名前がないのも変だということになり「Hummingbirdにしたら」という友達の一言で決定したらしい。
そして、社長様とルナとシドの名前でこの方法を特許申請したら、通ったわけだ。日本と違って、アメリカでは、ビジネスになりそうなものはとにかく特許を申請するし、日本では認められないものでも特許権が与えられる。
ハミング発音スクールは、こちら

そして私たちはハミング発音スクールを発展させるため、弁護士さんに相談しはじめた。色々と相談した上、国際特許に詳しい弁理士さんS先生を紹介してもらった。S先生の事務所は立派なビルで、かなりの数の社員さんが働いており、国際的にも活躍している。緊張しながらお会いしたら、なんと女性の方だった。もともと大きな弁理士事務所に所属していたのだが、独立して今の事務所を立ち上げたという。話を聞けば聞くほど、経験も実力も兼ね備えた立派な弁理士さんであることが分かり、恐れ多かった。私たちのようなちっぽけな話に真剣に耳を傾けていた。しかも、部下の方に任せることなく、直々に何度も何時間もお話していただいた。S先生との出会いは私にとって劇的だった。今のハミング発音スクールは、このS先生の力添えあっての発展だとも言える。特許や著作権の話から離れ、S先生が独立したころに起こった問題や、女性ゆえの苦難などのお話しもしてくださった。
私は、その当時大きなお腹を抱えた27歳の小娘。「何かをやりたい」という気持ちなど、S先生のお若い頃と重なることがあったらしく、熱心に応援してくださった。最後には大きくなりなさい。と励ましてくださった。

S先生にお会いするまでは、ルナの口そのものであるあの「8つの口の絵」がなければ何もできないように思っていた。しかし、S先生にお会いして、自分でオリジナルの方法を見い出す方向(この時にはもう、ハミング発音スクールのオリジナルはあったのだが・・)に話が進んでいった。
私が一番気になっていたのは、やはり特許の問題だった。ロスのハミングバードはアメリカ特許を取得しているのだから、日本での総代理店が出来た今使うことは許されないのではないかと思っていたのだ。しかし、なんともあっさり、特許は海を越えない。国別なのだ。アメリカで取得していても、日本ではまったく関係ないこと。そもそも、日本とアメリカでは特許の考え方がまったく違った。実際に、1997年帰国してすぐハミングバードの社長様の許可を得て、アメリカ特許を取った内容とまったく同じものを日本でも特許申請したが、却下されたのだ。日本で認められる特許は、「物の発明」でないとだめなようだ。(平成10 年ごろから「ビジネスモデル特許」というものができたらしいが日本において特許権を取得するハードルは高いようだ。)だから、だから、全世界でビジネスを展開したい場合は、あらゆる国に特許を同時に申請するのだそうだ。(すごい費用!)

複雑な話だが、ハミングバードの社長様と総代理店が契約したのは、アメリカ(と聞いている)。アメリカのカリフォルニア州の法律で契約した内容および対象となる権利は、日本における日本の法律に照らしあわせて決定されるのだそうだ。だから、アメリカでの権利がそのまま有効になるとは限らないらしい。日本人同士であっても国をまたぐと、法律の世界では事情が複雑になるのだ。
さて、話はS先生との話しに戻る。悲しいことに、日本では「ノウハウ」を守る手段はないのだという。確かに「ノウハウ」って形にするのはむずかしい。日本でノウハウを守るのには、著作権くらいしかない。だから具体的な教授法を本という形にして、著作権を登録する方法があるということを教えてもらった。最終的にS先生の話の結論は、「あなたたち、自分たちオリジナルのものを作りなさい。自分たちでがんばりなさい。8つの口の絵はイラスト程度なので、自分なりにデザインをし直せばそれほど問題ない。加盟店になるということは、今まで通りにはいかないのだから、オリジナルのものを作って自分たちで頑張りなさい。」ということでした。そう言われるまで、オリジナルメソッドなんて形にしようとも思っていなかったし、できるとも思っていなかった。でもS先生が背中を押して下さったおかげで、私たちの新しい挑戦が始まった。そして、大きな夢を持つようになった。それからオリジナルメソッド完成に向け、長い道のりが始まったのです。何度も事件がおこり、くじけそうになり、(翌年から社長と私が順に厄年だったせいか、今までにないとんでもない年が続いた)、辛い日々が続いた。しかし、傍にいてくれた先生や多くの生徒さんに助けられながら、新しいアイデアがどんどん湧き上がり、今のハミング8メソッドができあがったのだ。そして、ハミング8メソッドが出来上がって終わりでなく、また新しいプロジェクトへの歩みが続くようになった。S先生に出会ってから、ハミング発音スクールは新しい成長を続けているのだ。